二週間後に迫った北海道上陸の打ち合わせが1日早まり、急遽都内へ。
20:27、待ち合わせ場所の『ライコランド TOKYO BAY 東雲店』に30分近く遅れて到着し、先に到着してたS氏に詫びを入れる。後で聞くと、S氏は19:30には到着していたらしい。
そしてリーダーのO氏はまだ到着しておらず。
O氏はこの日が受け取りで、受け取り場所の両国から待ち合わせ場所に直接やってくる予定だ。
ところが一向にやってこない。
「これは海鮮丼コースですかね?」
「この遅刻はそれくらいゴチにならないとでしょ」
自分の遅刻を棚に上げて笑い飛ばす。
ただ、両国から待ち合わせ場所までは、車で約20分の距離だ。
それにしても遅い。
「出品者と話し込んでいて遅れるなら良いんですけど、事故ってませんかね?」
最初は笑いながら相槌を打っていたのだが、だんだんと笑えなくなる。
「納車当日に事故ったY氏の件もありますし…これだけ連絡無いのはちょっと」
——
Y氏の件とは、法政大学の府中寮時代、同期のY氏がおこした「ビラーゴ400事故」のことだ。
Y氏にとっては初のバイクだった。寮の車・バイク仲間がY氏の納車を祝い、納車日の深夜に皆で走りに繰り出した。
寮から出発して20分ほど過ぎた頃、甲州街道から多摩ニュータウン通りに入り、関戸橋を渡りきった昭和シェル石油前で事故は起きた。
自分も含めた先導車が、燃料補給のためにガソリンスタンドへ入った。その直後、道路から激しい衝撃音が聞こえてきた。
慌ててバイクを降りて道路に向かうと、ビラーゴとY氏が道路に倒れている。皆がY氏に駆け寄ると、色々と痛みはあるようだが意識はあった。まずはY氏とビラーゴを歩道に移動させ、とにかく総出で事故処理をする。
救急車を待つ間、Y氏の後ろを走っていたS氏に事故の様子を尋ねる。どうやらY氏は中央分離帯に刺さり、バイクが縦方向に宙を舞ったという。
Y氏は鎖骨骨折などはしたものの、事故の衝撃の割には大怪我をせずに済んで安堵したのを覚えている。
——
そんな過去があるだけに、何の連絡も無いまま1時間以上が過ぎ、O氏のことを本格的に心配し始める。
不安が重くのしかかってきた頃、二台のアメリカンが悠然とやってくる。近づくにつれて1台はO氏のドラッグスターと分かり、安堵のため息をつく。
「いやぁ~、遅れてすみません」
いつもの軽い調子が重くのしかかった空気を吹き飛ばす。
もう一台のハーレー乗りは、ドラッグスターの出品者の友人で、O氏が不慣れなために待ち合わせ場所まで誘導してくれたという。お礼に一緒に飯でもと誘ったが、次の日に仕事があるため颯爽と去っていった。
待ち合わせ場所の周りには何も無さそうだったので、お気に入りの『Cafe Superracer』を提案して芝浦ふ頭へ移動する。
たどり着いた『Cafe Superracer』は約5年ぶりだが、相変わらずの佇まいで本当に嬉しい…というかSR乗りで大賑わいだった。SR乗りの集いがあったのかもしれない。
しかも、L.O.22:00ギリギリに飛び込んだため、出せるのはドリンクのみになってしまうとのこと。残念ながら、また来ますと店を後にする。外に出て別の場所を検索してると、わざわざマスターが外まで出てきてお詫びをされてしまい、かえって恐縮してしまった。
それにしても、在るべき場所があり続けるというのは本当に嬉しいものだ。
結局、最寄りの『サイゼリア』に場所を移して、ようやく打ち合わせを始める。
打ち合わせの冒頭、自分の体調がまだ思わしくないため、北海道上陸後の途中離脱の可能性を伝えた上で詳細を詰める。
第1回の打ち合わせでは、新潟集合、秋田へ北上、恐山経由で大間から函館そして札幌というルートだった。それが今回の変更で、福島集合、秋田へ斜め北上、八戸からフェリーで苫小牧そして札幌というルートに決定した。
ああでもないこうでもないと楽しみながらルート選定してる最中、どのような流れだったのかは失念するも、O氏がパワーワードをぶっ放す。
「これまで大きな事故は起こしたことないから」
…覚えてるだけでもスカイライン大破 、インテグラ中破、スープラ大破があるのですが。
札幌到着後は美幌峠を目指すという、相変わらずの無計画っぷりを発揮したところでお開きとなった。
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