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イラク少女暴行殺害事件、首謀者元米兵に無期懲役

【5月22日 AFP】バグダッド南部のマハムディヤ(Mahmudiyah)で2006年3月に駐留米軍兵士がイラク人の少女を暴行し、少女を含む家族4人を殺害した事件で、米ケンタッキー(Kentucky)州の連邦裁判所の陪審員団は21日、事件の首謀者である元米国陸軍兵卒スティーブン・グリーン(Steven Green)被告に対し、無期懲役の有罪評決を言い渡した。これにより、同被告は死刑を逃れることになる。

これだけの犯罪を犯しておきながら、無期懲役。最高刑に死刑が設定されている裁判にも関わらず、この犯罪が死刑に値しないとしたら、いったいどんな罪を犯せば死刑になるのだろう?

グリーン被告が法廷で読み上げた「謝罪文」も、それを聞いていた遺族にとっては何の慰みにもならないだろう。だが、その謝罪文を読みながら色々と考えたこともある。

軍に入る前も、軍に入ってからも、人を殺すなんて考えたこともなかった。
しかし、イラクで正気を失い、イラクの人々を人間以下と見なすようになった。

Steven Green’s Apology to Victims

遠い昔、ゼミで読まされたジョン・ダワーの『人種偏見』を思い出した。太平洋戦争の際、米国人は日本人を人間以下の「黄色い猿」と見なすことで、人種差別の心を煽り、敵意を持続させていたという。もちろん、それは「鬼畜米英」の標語を掲げた日本側も変わりない。

どんなに立派な戦争の大義名分を掲げたとしても、現場の兵士が向き合うのは風貌や言葉も違う異国の人々である。相手が何を考えているか分からない。
敵意を持って自分たちを見ているかもしれない。こうした心理が生み出す恐怖心は、とうてい計り知れない。

この恐怖心をかき消す手段が相手を「人間以下」と見なすことであり、行き着いた先が卑劣な犯罪だったとしても不思議ではない。だからといって、グリーン被告を擁護する気は毛頭無い。命を持って罪を償えと思うと同時に、その憤りは米国にも向かう。

無抵抗の村民504名を虐殺した「ソンミ村虐殺事件」の首謀者達に対して軍事法廷で下された、あまりに軽すぎる刑を思い出さずにいられない。米国の掲げる「正義」も所詮はこの程度だと考えると、「正義」や「平和」という言葉に対して嫌悪感すら抱いてしまう。

それとは別に、グリーン被告の謝罪文を読みながら自問してみた。

自分が戦地に行ったとしたら、同じ犯罪を犯すことはないのだろうか?罪も無い人々に対して「人間以下」というレッテルを貼り、人種差別の感情を抱くことはないと言い切れるだろうか?

もちろん、戦地に赴いている者の全てが、相手に対して人種差別の感情を抱く訳ではないだろう。それでも、自分たちが「正義」の名の下で派兵され、その自分たちに銃口を向けてくる者たちを、どう考えるだろう?

いつ殺されるかも分からない極限状態の中で、悠長に考える時間など無いと言われるかもしれない。身を守るためにやむを得ず、相手を殺すこともあるかもしれない。

それでも、罪も無い人々を襲うことを許す道理があるはずはない。相手に対する敬意、人間としての尊厳を失った時点で自らが「人間」であることを放棄するに等しい。

今は分かる、戦争は本質的に悪だ。
なぜなら人を殺すことが本質的に悪だからだ。

Steven Green’s Apology to Victims

だが彼は、それに気づくのがあまりに遅すぎた。

Ex-soldier apologizes to Iraqi family for raping, killing
Steven Green’s apology(pdf)
ソンミを振り返る

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