昼過ぎに起きた。寝たのが7:00過ぎなので当然だろう。
今日は「映画の日」だ。寝る前に上映中の作品を漁った。『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』も気になったが『世界のはしっこ、ちいさな教室』にした。昼間の時間を避け、20:50の回に決めて寝た。
しかし、出発前に改めてネットを眺めていたら、最近観た『ヒトラー 最期の12日間』に出演していたビルギット・ミニヒマイアーが『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』にも出演していることを知った。これが背中を後押ししたため、間際に観賞作品を切り替える。
電車でリハビリ。
電車に乗り込んだ後、スマホを眺めていると食塩水の濃度のクイズに目が留まった。「中2なら秒で分かるかもしれないクイズ」の文言に煽られ、電車内で計算を始める。
出てきた答えが0.3333333…
割り切れない。
17:37、そうこうしている内に「立川駅」に到着。
答え合わせをすると、やはり間違っていた。分母を「食塩水」ではなく、「水」で計算してしまった。いかにも自分らしいケアレスミスに苦笑い。
とはいえ、このクイズのおかげで電車内で予期不安もなく過ごせた。
映画まで時間があったので駅前周辺をぶらつく。
ここでまたPENTAX Q-S1の「Auto 110モード」を試す。フィルムっぽい色合いがとても気に入った。手当たり次第に写真を撮るのが楽しい。
撮影しながら南口から北口に移動したが、そろそろ上映時間なので映画館に向かう。
高島屋8階でエレベーターの扉が開くと、このポスターが飛び込んできた。『アウシュビッツの生還者』。
こちらもナチス・ドイツを扱った作品だ。前日に予告を観て気になった。
こちらの作品も気になった。『6月0日 アイヒマンが処刑された日』。
第二次世界大戦が終結した夏に合わせて、こうした作品が上映されるのかもしれない。ただ、大日本帝国を扱った作品が見当たらない。これから上映待ち作品があるのかもしれないが、その非対称性がモヤモヤした。
書いてる最中に思い出したが、映画『福田村事件』が9月1日から上映される。これは関東大震災の際に朝鮮人と間違われて殺害された日本人を扱った作品だが、今の日本ではこれが限界なのかもしれない。それでも作品を世に問う森達也監督には敬意を表したい。
こちらが本日の観賞作品、『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』。
今回は2番スクリーンのH3席から観た。2番スクリーンはF席あたりが自分にちょうど良さそうだ。自宅から空席情報を確認した時は数席しか埋まってなかったので真ん中の座席に挑戦してみようかと考えた。しかし、劇場で空席情報を見たら埋まってる座席が増えていたので挑戦は諦めた。
座席に座った時から本編が始まるまで、全く予期不安のことを意識しなかった。これほど意識せずにスクリーンに集中できてる自分に驚いた。ただ、それに気づいた途端、「このまま大丈夫だろうか?」という意識が頭をもたげる。これが良くない思考パターンなのだろう。それでも幸いなことに、またすぐに物語に意識を向けることができた。
富裕層で頭も良く、ウィットに富み、強い精神力を持った主人公がナチスに捕らえられ、精神的な拷問で絶望に追い込まれ、次第に精神が壊れていく過程が残酷なまでに見事に描かれていた。しかも、主人公の過去と現在の記憶、そして妄想とが入り乱れ、観ていて混乱してくる。
主人公が絶望で絶叫する場面、観ているこちらまでパニック発作が起きても不思議ではないほど惨たらしい場面だった。ところが、その場面を異常なくらい冷静に観ている自分がいた。初めてパニック発作で救急車で運ばれ、病院のベッドで天井を眺めていた時と同じだった。死ぬかもしれない。ただでさえ臆病な自分が死の可能性を考えてるのに、奇妙なほど落ち着き払っている自分がいたことを思い出した。それ以前にも、窮地の場面でありえないくらい冷静に対処した記憶も蘇った。臆病な自分にそんな意外な側面があるのだなと感心した。
それと同時に、主人公の精神が崩壊していく姿は見ていて辛いものがあった。自律神経失調症の症状が酷かった時期、自分が壊れていく感覚を味わった。その感覚を思い出させるほど迫真の演技だった。
…そんなことを考えている間に話は進んでいた。
ただでさえ伏線が散りばめられた複雑怪奇な展開へと進んでいくのに、その伏線が回収される肝心なラストシーンに集中力を乱してしまう大失態を犯してしまった。
こうした複雑に入り組んだ映画を一度観ただけで理解できる能力は持ち合わせていないことを、今回改めて思い知った。映画を何度も観返すことができるAmazonプライムビデオのありがたみを再認識した。
映画鑑賞後、一蘭へ向かう。
8月はダイエット強化月間に決めたはずだが…
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