責任

イヌネコの殺処分に立ち会った、人間には「看取る責任」
「別室では、あの母犬と子犬たちが麻酔注射による処置を受けていた。成犬は通常、ガスで処分されるが、最期は母子でとの職員の精いっぱいのやさしさだった。導入麻酔で意識がもうろうとした母犬を職員がやさしくなでる。親子を隔てていた壁を取り去ると、母犬はふらふらしながら子犬たちに寄り添い、2度目の麻酔で母子は眠るように逝った。」
(2009/02/19 読売新聞)

麻酔で意識がもうろうする中で
母犬と子犬たちは、最後にどんなことを思うのだろう?
楽しかった思い出だろうか?
それとも理不尽な死に対する人間への憎しみだろうか?

そもそも「看取る責任」って何だろう?
何の罪もないのに殺されていく犬や猫たち。
黙ってそれを見届けることを「責任」と呼ぶ。
犬や猫たちから見れば、人間の「エゴ」にしか見えない。

それを言ったら、「飼う」ことだって人間の「エゴ」かもしれない。
それでも、「飼う」という「エゴ」を選択をするのなら
最後まで「飼う」という「責任」を持つべきではないのか。

「責任」という言葉が、あまりにも軽すぎる。

ぼちぼち生きてます。

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